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バックパッカー女子が「チュニジア」珍道中で体験した、超リアルなチュニジア人の生活とは!?

こんにちは。
会社員時々バックパッカーの岸本くりすてぃーなです。
突然ですが、あなたはどっち派?
「人と同じであることを好む」
「人と違っていることを好む」
ちなみに私は断然後者です。
友達同士で行ったレストランでも1人だけ違うメニューを頼んだり、多数決の場では少数派の意見を選びがちで、よくわからない名前のメニューを興味本位で注文したりしちゃいます。
そんな私は2019年12月半ば、会社の冬休みを使って今年はどこで年を越そうかと、ネットサーフィンをする日々を送っていました。
そして見つけ出した行き先は「チュニジア」!!
なぜチュニジアなのかって?
理由は、なんとなく(笑)。
休暇の期間と値段が妥当だったから。
特にコレといった目的もなく先に国が決まっちゃうパターンは、私にとってよくあることなんです。
そんなので楽しく過ごせるの?とよく聞かれますが、まぁそれがめっちゃ楽しい。
楽しすぎるんです!
そのワケを実際の体験談を交えて紹介していきます。
意地悪な悪魔がもたらした必然の出会い
チュニジア行くなら外せない場所!「シディ・ブ・サイド」

チュニジアは、アフリカ大陸北部でエジプトに近く、地中海を挟めば、北にはイタリアがある場所です。
アフリカ大陸=砂漠をイメージする人も多いかと思いますが、それだけじゃないんです!
チュニジアンブルーという言葉がぴったりの有名な町があります。
チュニジアンブルーとは、水色よりやや濃い青色のことで、現地ではそう呼ばれています。
「シディ・ブ・サイド」
この町のどこを歩いても目に入るのは、鮮やかな白と青。
真っ白い壁に青く塗られた大きなドアや窓、門。
そこにブーゲンビリアの花のビビッドなピンク色が女子のハートをわしづかみにしちゃうのです。
そしてさらに進んでいくと、飛びこんでくるのは地中海。
空と海が無限の青色グラデーションを描く景色は、女子なら絶対に外せない撮影スポットなんです。
そんなこの町は、「チュニジアで一番美しい町」と称賛されるまでになっています。
メインストリートは、世界各国の色々な国の言葉が飛び交い、多くの観光客で賑わっています。
お土産物屋が並んでいたり、おしゃれなカフェやレストラン、ホテルなんかもあって観光気分を十分に味わえるホットスポットです。
でも、自由気ままなバックパッカーの私としてはここで帰っちゃうともったいない!もっと他にもチュニジアの素敵なところがいっぱいあるはずって思ってしまうんです。
いざ!私の大好きな裏路地へ
そして、刺激を求め裏路地にあえて迷い込む(笑)。
裏路地は今までの経験上絶対におもしろく、現地生活を垣間見ることができる私の定番スポットなのです。
私:「ぼんじゅー(bonjour:こんにちは)」
現地の人:「Bonjour. Ça va?」
裏通りで人に会えば、目を合わせてニコッと笑顔で挨拶!現地語で挨拶するのも相手の懐に入る大きなポイントです!
ここチュニジアでは、英語はほとんど通じない(観光地以外)。
公用語はアラビア語のチュニジア方言。
独立前はフランスの保護下にあったことから第2言語のフランス語も広く普及しています。
もちろん、私は話せない。
でも大丈夫。
「ぼんじゅー(bonjour:こんにちは)」と「めるしー(merci:ありがとう)」は知っているから!
これにジェスチャーと最大の伝えたい気持ちと想像力をプラスすれば、なんだかんだで会話は成立すると(一方的に)思っているのです(笑)。
ちなみにフランス語の基本的な挨拶には
bonjour(ボンジュール):おはよう/こんにちは
bonsoir(ボンソワール):こんばんは
merci(メルスィ):ありがとう
au revoir(オフヴォワール):さようなら
などがあります。
閑静な住宅街が並び、さっきまでの騒々しさが嘘みたいにひっそりとした裏路地で、現地の人と思われるオジサマに挨拶しました。
「……さぶぁ」ってなに?と想像しながらも会話を続けると
「○△□×……」めっちゃ笑顔で話してくれてたけど。
(いやいや、ぜんっぜんわからない……)
得意のジェスチャーで会話をしてみると、
「キレイな場所があるから連れて行ってあげる!写真を撮ってあげよう!」(と言っていたに違いない)
オジサマは、私をいろいろな場所に連れて行き、カメラマンばりに写真をパチパチ撮ってくれる。
素敵に撮れただの、今のはイマイチだの、この場所はなんとかかんとか……。
などと話をしながら、親切なオジサマと楽しい時間を過ごしていたのです。
調子よく撮られていたけど、どうも体調に違和感が。
なんと、私のお腹が悲鳴を上げ始めたのです。
そう「下痢」という名の突如として現れる意地悪な悪魔!
過去にも何度か同じような経験をしたことがあるから一時的な対処法は分かっていました。
「神様、仏様、お願いします。私が全部悪かったです。何でも言うこと聞きますから、お願いします。お腹痛いのがなくなりますように。」と念仏のように1人でブツブツと言い続けながら、動きをとめて腰を若干前にかがめて、とにかくお腹をさすりまくって温める。
無駄かと思うかもしれないけど、「病は気から」の通り私はこれで本当に良くなるんです!
実際このときも一時的におさまったので、オジサマとの距離をおいて、その隙をねらってトイレを探しに行こうと思っていました。
なのに、それなのに……。
オジサマが、次はあっちで写真撮ろうよ!!とばかりに微笑んで近づいてくるではないか。
(いやいやいやいやいや。ちがうちがう……。笑ってる場合じゃない……。お願いだから空気読んで……。もはやその優しさは拷問でしかない…)
しかも、ここは裏路地のひっそりとした住宅街。
外に人も歩いていない(よくオジサマと出会えたもんだ)。
レストランやカフェが並んでいるメイン通りからずいぶんと離れた場所に自分がいることに焦ったが、トイレを探そうにも歩き回る猶予は私には1ミリもなかったのです。
こういうときに空気を読んでくれる人もいるのに、オジサマにはまったく通用しない。
そんなことを考えているときに第二波が!
(無理。マジで無理。あぁー限界……)
「トイレット……」恥じらいも捨ててそう呟くと、やっと気づいたオジサマ。
(はぁ、やっと解放される!)
と思いきや、「こっちに来な!」とでもいうジェスチャーで私を手招き。
痛みが増してきて思考回路がストップしていた私は言われるがままついていく。
そして到着したのはオジサマの自宅。
彼は、自分ちのトイレへと案内してくれたのでした。
チュニジア人のお宅事情
チュニジアのトイレ(観光地を除く)事情として、便座がなかったり、トイレットペーパーがないのはしばしば。
その代わり、トイレ用シャワーが付いているのです。
シャワーで洗い流し、手で拭く(もしくは自然乾燥)。
さすがに直拭きをする勇気のない私は、ペーパーがほしいとお願いし事なきを得ました。
なんだかんだでピンチを救ってくれたことに対してお礼を伝えて帰ろうとしたら、また「こっちに来な!」とジェスチャーで手招きするオジサマ。
すると突然、私に家の中を案内し始めたのです。
最初に案内してもらった部屋は、いわゆるゲストルームなのだろうか。
基本的に家の中は土足OKだけど、部屋の中に敷かれている絨毯の上にあがるときは靴を脱ぐ人が多いようだ。
「ようだ」と表現したのは人によって差があるから。
日本のように必ず玄関で脱ぐ習慣がないため、属人的になっている。
上品な柄の絨毯の上には、骨董品に値するような上品な長椅子や机が置かれていました。
家は石で作られた一軒家。
天井はドーム型になっていてとても広く感じるけれど、石と白色のせいかどこか冷たさを感じたりもしました。
その冷たさをカムフラージュするように、木で作られた家具を配置していたり、ソファに黄色や朱色の暖色を使って温もりを創り出しているところにセンスの良さを感じたのです(勝手な想像ですが……)。
部屋のいたるところに家族の写真がたくさん飾ってあったのも、温もりを感じる大きな理由だったかもしれない。
オジサマは1つ1つ丁寧に説明してくれたのです。
「これは僕の兄弟。彼が〇番目で、こっちが△。仕事は〇△□×……。」という具合に本当に親切に、そして片言の英語も織り交ぜながら私に話してくれました。
それは彼だけに限った話ではなく、一緒に住んでいるという弟や姪っ子までもが同じ。
(日本だったらこんなこと起きないかも……)
ふとそんなことを考えて比較してしまいました。
同じことが日本で起きたら……。
なんの躊躇もなく家に招き入れるかな?
入れたとしてもトイレだけ貸して終わりではないかな?
そもそも言葉が話せない時点で絶対話しかけないかな?などなど。
チュニジア人の特徴は、距離の近さと人懐っこさ
しばらくして英語が堪能な姪っ子を通訳兼、私の専属ガイドとして紹介してくれました。
「すっごい嬉しい!本当はこうやって観光に来た人を家に招待して町を案内したり仲良くなりたかったの。でも全然出会う機会ないし、普段の生活でほとんど出歩かないから。」
そう言いながら、彼女はシディ・ブ・サイドの町全体が見渡せる、とっておきの場所に私を連れて行ってくれたのです。
「屋上テラス」
上から見る町並みは、目の前に遮るものがなくて、本当に美しくて何時間でもその場にいたかったくらい。
真冬に裸足と軽装の私には無理でしたが(笑)。
冷え切った身体を温めようと、再び家の中に入り、彼女のパパお手製のオレンジジュースを飲みながら、日本とチュニジアの違いや文化などについてたくさん話をしました。
物価も日本とはずいぶん異なり、私たちにとっては安い。
チュニジア人の平均月収は、日本円で約2万円~4万円くらいだそう。
彼女の住んでいる家は、5つの部屋にキッチンとバスルームがついていて、日本人の私からみてもかなり豪華。
日本の都会で同じような家を建てると……どれくらいだろう?
彼女自身は値段は分からないらしいが、「普通の人にはちょっと高いと思うけど、裕福な人は買う余裕があると思う」と。
いったいそれがいくらぐらいなのか興味津々。
そんなこんなで、トイレを借りただけのはずが、結局2時間近くもオジサマ家族とともに過ごしたのです。
事の発端は、意地悪な悪魔がもたらした「下痢」だったけど、そのおかげで必然ともいえる貴重な出会いと経験をすることができたのです。
タクシー争奪戦に参戦!見知らぬ土地で危うく帰宅難民に……
予測不可能なアクシデントの巻き添えに……

丸一日、観光を満喫して宿へ帰ろうと電車を待っていたのに電車が来ない。
すると1人の現地女性が「アクシデントがあった」と教えてくれました。
どうりで人っ子一人いなかったわけです。
日も暮れたチュニジアの12月末は日本よりも寒く感じるほど。
アフリカ大陸の北部に位置するチュニジアを年中暑いと勝手に思い込み、下調べすることなく軽装で旅に出た自分を悔やみに悔やみました。
靴下も履かずにビーチサンダル姿の私は、明らかにちょっとおかしなアジア人として彼女の目に映っただろう。
(電車のアクシデントか……。ちょっと待てばすぐ来るだろう)
と思っていた私に、彼女は更になにかを伝えてきました。
「〇△□×……。」
(いやいや、ぜんっぜんわからないし……)
彼女は私よりも10歳以上も年下で、身長は150前半くらいの小柄にも関わらず、出てくる言葉が力強く、言い方が関西在住の私にもキツく感じる(笑)。
そんなたくましい彼女に変な安心感を抱いてしまった私は勝手に「姐さん」と名付けて、従いついていくことにしたのです。
寒空の中、姐さんがサッサと歩く後ろを必死に追いかけて、30分以上は歩いた頃、
「さぁ、ついた!」
と言われて目に入った光景は、まさにカオス……。
100人は優に超える大人たちで道路が埋めつくされていたのです。
ここでようやくわかったのですが、アクシデントの正体は急に発生した「電車のストライキ」でした。
電車が使えなくなり身動きの取れない帰宅難民が溢れかえっていたこの場所に、姐さんは私を連れてきたのです。
チュニジア人に交じって争奪戦に参戦
そうここは「乗合いタクシー」の乗り場。
通常の日本のような個人タクシーよりも何十倍も値段が安いので、これに乗るため、帰宅難民たちが群がっていたのでした。
(いやいやいや。マジか……。インドのアレ!テレビで見たことあるやつ)
インドの電車は屋根の上にも人が乗ったまま走行する。
そんな映像が頭をよぎりました。
まさにあんな光景が目の前で繰り広げられるのではないかと……。
「頼む!ルーフ部分だけはイヤ。そもそも、外だけは絶対にイヤ。真冬にビーサン姿なんだから。車内なら、我慢できる!見知らぬ男同士の間に挟まれても、膝の上に座ることになってもいい」と覚悟はしていました。
強い思いとともに乗合いタクシー争奪戦に参加!
疲れ果てた体に気合いと根性をいれて、と関西人魂を見せつけてやったけど、一筋縄ではいかない……。
そんなとき
「くりすてぃーな!くりすてぃーな!カムカム!!」
と遠くから私を呼ぶ声が!
「姐さん!!」
別の場所で姐さんも争奪戦に参戦していました。
そしてなんと、姐さん、勝利したうえに私の席まで確保してくれていたのです。
(さすがです、私の姐さん)
そして、覚悟をもってタクシーに乗り込む。
え??
えぇ??
えぇぇぇぇぇー!!
嘘でしょ……。
拍子抜けした争奪戦の結末
1人1席、整然と着席。
8人乗りの車内には、8人ぴったり。
以上でも以下でもなく。
イメージと違い規定人数以上は乗せない、なんとセーフティーなタクシー!というか私が勝手にインドのアレを想像していただけですが(笑)。
こんなにも帰宅難民で溢れてるから乗せてあげたらいいのにと本気で思う反面、インドのアレも体験してみたかったというあまのじゃくな思いも。
乗せた人数分だけドライバーだって儲かるのに。
(インドの乗車風景の動画、見せてあげようかしら)
チュニジア人の真面目ポイントは分析できなかったけど、ひとつだけ言えること。
それは、
「チュニジア人は優しい。タクシー争奪戦以外は(笑)。」
姐さんの奮闘のおかげで、見知らぬ人の膝上に座ることも回避して帰路につくわけですが、さらなる試練が待っていようとは、このとき知る由もなかった……。